東方昭和伝第一部とは、eleven氏制作動画『東方昭和伝』の第一部である。「動乱序曲編」。
≪ 主なできごと ≫ 昭和開幕 昭和金融恐慌 国民党中国統一 第16回衆議院総選挙(初の男性普通選挙) 張作霖爆殺事件(満州某重大事件) 世界大恐慌 金解禁 ロンドン海軍軍縮会議 統帥権干犯問題 浜口総理大臣狙撃事件 三月事件(陸軍クーデタ未遂事件)
出演
≪ 役名・肩書き・演者 肩書きは原則として作中の現職。元職は特記のみ ≫
宮中
- 西園寺公望 (元老 公爵 元・総理大臣) ・・・ 西行寺幽々子
- 原田熊雄 (西園寺元老秘書) ・・・ 魂魄妖夢
- 鈴木貫太郎 (侍従長 海軍大将 元・海軍軍令部長) ・・・ 八雲紫
- 平沼騏一郎 (枢密院副議長 元・検事総長) ・・・ 四季映姫・ヤマザナドゥ
- 若槻礼次郎 (第25代・28代総理大臣 憲政会→立憲民政党総裁) ・・・ 綿月豊姫
- 田中義一 (第26代総理大臣 立憲政友会総裁 陸軍大将 男爵) ・・・ 多々良小傘
- 浜口雄幸 (第27代総理大臣 立憲民政党総裁) ・・・ 橙
- 幣原喜重郎 (若槻内閣および浜口内閣外務大臣 男爵) ・・・ パチュリー・ノーレッジ
- 森 恪 (田中内閣外務政務次官 立憲政友会幹事長) ・・・ 封獣ぬえ
- 高橋是清 (田中内閣大蔵大臣 子爵 元・総理大臣) ・・・ 秋穣子
- 犬養 毅 (立憲政友会総裁) ・・・ 犬走椛
- 鳩山一郎 (立憲政友会総務) ・・・ ミスティア・ローレライ
- 宇垣一成 (大将 浜口内閣陸軍大臣 朝鮮総督) ・・・ 伊吹萃香
- 石原莞爾 (少佐 関東軍作戦参謀) ・・・ 風見幽香
- 板垣征四郎 (大佐 関東軍高級参謀) ・・・ 魅魔
- 田中隆吉 (大尉) ・・・ ルーミア
外国要人
- 蒋介石 (南京国民政府主席) ・・・ 紅美鈴
- 汪兆銘 (中国国民党中央常務委員) ・・・ 大妖精
- 張学良 (張作霖の子 奉天軍閥) ・・・ 小悪魔(東方project)
- ヘンリー・スチムソン (合衆国国務長官) ・・・ 古明地こいし
※そのほかモブ役として、森近霖之助(文官)・こーりん(小物)・魂魄妖忌(偉そうな軍人)・高木社長(随時)
用語解説
元老 (げんろう)
明治期において多大な貢献のあった重臣に対し、特に与えられた称号。元勲。大正時代と戦前昭和期においては、天皇の諮問により内閣総理大臣を奏薦する権限を持っていた。大正13年に松方正義が死去すると、唯一の存命者となった西園寺公望が、昭和政界最大のキーパーソンとなった。
出身 | 経歴 | 没年 | |
---|---|---|---|
伊藤博文 | 長州 | 第1・5・7・10代内閣総理大臣 枢密院議長 公爵 | 1909年(明治42年) |
黒田清隆 | 薩摩 | 第2代内閣総理大臣 伯爵 陸軍中将 | 1900年(明治33年) |
山縣有朋 | 長州 | 第3・9代内閣総理大臣 公爵 元帥陸軍大将 | 1922年(大正11年) |
松方正義 | 薩摩 | 第4・6代内閣総理大臣 大蔵大臣 公爵 | 1924年(大正13年) |
井上 馨 | 長州 | 外務大臣 大蔵大臣 内務大臣 侯爵 | 1915年(大正4年) |
西郷従道 | 薩摩 | 海軍大臣 侯爵 元帥海軍大将 ※西郷隆盛の弟 | 1902年(明治35年) |
大山 巌 | 薩摩 | 陸軍大臣 参謀総長 公爵 元帥陸軍大将 | 1916年(大正5年) |
桂 太郎 | 長州 | 第11・13・15代内閣総理大臣 陸軍大臣 公爵 陸軍大将 | 1913年(大正2年) |
西園寺公望 | 公家(清華家) | 第12・14代内閣総理大臣 公爵 | 1940年(昭和15年) |
政友会 (せいゆうかい 立憲政友会)
元老・伊藤博文が設立した、大正・戦前昭和の大政党。大正時代には西園寺や原敬らを擁し、明治以来の薩摩・長州藩閥政治に対する、議会政治の旗手として活躍。1918年(大正7年)、外務・陸軍・海軍大臣以外を政友会党員とする原敬内閣をもって、本格的政党内閣の時代をスタートさせた。しかし原の暗殺後は党内抗争に明け暮れるようになり、軍人出身の田中義一(陸軍大将)を党首に迎えて以後、単なる守旧派・親軍派の色を濃くする。
代 | 総裁 | 在任 | 首相 |
---|---|---|---|
1 | 伊藤博文 | 1900年(明治33年)9月 ~ 1903年(明治36年)7月 | 1900.10 ~ 1901.5(第4次内閣) |
2 | 西園寺公望 | 1903年(明治36年)7月 ~ 1914年(大正3年)6月 | 1906.1 ~ 1908.7(第1次内閣) 1911.8 ~ 1912.12(第2次内閣) |
3 | 原 敬 | 1914年(大正3年)6月 ~ 1921年(大正10年)11月 | 1918.9 ~ 1921.11 |
4 | 高橋是清 | 1921年(大正10年)11月 ~ 1925年(大正14年)5月 | 1921.11 ~ 1922.6 |
5 | 田中義一 | 1925年(大正14年)5月 ~ 1929年(昭和4年)7月 | 1927.4 ~ 1929.7 |
6 | 犬養 毅 | 1929年(昭和4年)7月 ~ 1932年(昭和7年)5月 | 1931.12 ~ 1932.5 |
7 | 鈴木喜三郎 | 1932年(昭和7年)5月 ~ 1937年(昭和12年)2月 | なし |
代行 委員 |
鳩山一郎 前田米蔵 三土忠造 中島知久平 |
1937年(昭和12年)2月 ~ 1939年(昭和14年)4月 | なし |
正統派 | 久原房之助 | 1939年(昭和14年)5月 ~ 1940年(昭和15年)7月 | なし |
革新派 | 中島知久平 | 1939年(昭和14年)4月 ~ 1940年(昭和15年)7月 | なし |
戦前昭和の大政党。もとは元老・桂太郎が、政友会に対抗して設立した立憲同志会。のちに憲政会と名を改め、さらに政友会から分裂・離党した諸勢力(「政友本党」など)を吸収して、昭和の二大政党のひとつとなった。政策的には普通選挙制度を主張するなど、左派リベラル。また幣原喜重郎外相に代表される、親英米・対中融和型のいわゆる「幣原外交」を推進した。
代 | 総裁 | 在任 | 首相 |
---|---|---|---|
(憲政会) (1) |
加藤高明 | 1916年(大正5年)10月 ~ 1926年(大正15年)1月 | 1924.6 ~ 1926.1 |
(憲政会) (2) |
若槻礼次郎 | 1926年(大正15年)1月 ~ 1927年(昭和2年)6月 | 1926.1 ~ 1927.4(第1次内閣) |
1 | 浜口雄幸 | 1927年(昭和2年)6月 ~ 1931年(昭和6年)4月 | 1929.7 ~ 1931.4 |
2 | 若槻礼次郎 | 1931年(昭和6年)4月 ~ 1934年(昭和9年)11月 | 1931.4 ~ 1931.12(第2次内閣) |
3 | 町田忠治 | 1934年(昭和9年)11月 ~ 1940年(昭和15年)7月 | なし |
枢密院 (すうみついん)
天皇直属の顧問機関。政界・官界の長老たちが所属し、内閣や議会からあがってきた政策・法律の最終審議にあたった。言うまでもなく守旧派の牙城であり、特に軍部や警察・右翼勢力と親しかった平沼騏一郎が副議長・議長だった大正15年~昭和14年は、民主主義的・反軍的な政策と、ことごとく衝突した。
代 | 議長 | 在任 | 副議長 |
---|---|---|---|
15 | 男爵 倉富雄三郎 | 1926年(大正15年)4月 ~ 1934年(昭和9年)5月 | 平沼騏一郎 |
16 | 男爵 一木喜徳郎 | 1934年(昭和9年)5月 ~ 1936年(昭和11年)3月 | 平沼騏一郎 |
17 | 男爵 平沼騏一郎 | 1936年(昭和11年)3月 ~ 1939年(昭和14年)1月 | 荒井賢太郎(~1938.1) 原 嘉道 |
18 | 公爵 近衛文麿 | 1939年(昭和14年)1月 ~ 1940年(昭和15年)6月 | 原 嘉道 |
19 | 男爵 原 嘉道 | 1940年(昭和15年)6月 ~ 1944年(昭和19年)8月 | 鈴木貫太郎 |
20 | 男爵 鈴木貫太郎 | 1944年(昭和19年)8月 ~ 1945年(昭和20年)4月 | 清水 澄 |
21 | 男爵 平沼騏一郎 | 1945年(昭和20年)4月 ~ 12月 | 清水 澄 |
22 | 男爵 鈴木貫太郎 | 1945年(昭和20年)12月 ~ 1946年(昭和21年)6月 | 清水 澄 |
23 | 清水 澄 | 1946年(昭和21年)6月 ~ 1947年(昭和22年)5月 | 潮 恵之輔 |
参謀本部 (さんぼうほんぶ)
軍令部 (ぐんれいぶ 海軍軍令部)
軍組織のひとつ。軍機能のうち、作戦・用兵をつかさどる。陸軍が参謀本部で、海軍は軍令部。長官は「参謀総長」および「海軍軍令部長(のちに軍令部総長)」。天皇に直属し、戦争時には「大本営」を構成して軍の指揮命令に当たった。政治にたずさわる陸軍省や海軍省に比べて純粋な「軍人」が集まり、しばしば強硬軍事論の発信源となった。
代 | 参謀総長 | 在任 |
---|---|---|
12 | 大将 鈴木荘六 | 1926年(大正15年)3月 ~ 1930年(昭和5年)2月 |
13 | 大将 金谷範三 | 1930年(昭和5年)2月 ~ 1931年(昭和6年)12月 |
14 | 元帥大将 閑院宮載仁親王 | 1931年(昭和12年)6月 ~ 1940年(昭和15年)10月 |
15 | 元帥大将 杉山 元 | 1940年(昭和15年)10月 ~ 1944年(昭和19年)2月 |
16 | 大将 東条英機 | 1944年(昭和19年)2月 ~ 7月 |
17 | 大将 梅津美治郎 | 1944年(昭和19年)7月 ~ 1945年(昭和20年)11月 |
代 | 軍令部総長 (1933.10まで軍令部長) |
在任 |
---|---|---|
12 | 大将 鈴木貫太郎 | 1924年(大正14年)4月 ~ 1929年(昭和4年)1月 |
13 | 大将 加藤寛治 | 1929年(昭和4年)1月 ~ 1930年(昭和5年)6月 |
14 | 大将 谷口尚真 | 1930年(昭和5年)6月 ~ 1932年(昭和7年)2月 |
15 | 元帥大将 伏見宮博恭王 | 1932年(昭和7年)2月 ~ 1941年(昭和16年)4月 |
16 | 元帥大将 永野修身 | 1941年(大正16年)4月 ~ 1944年(昭和19年)2月 |
17 | 大将 嶋田繁太郎 | 1944年(昭和19年)2月 ~ 8月 |
18 | 大将 及川古志郎 | 1944年(昭和19年)8月 ~ 1945年(昭和20年)5月 |
19 | 大将 豊田副武 | 1945年(昭和20年)5月 ~ 11月 |
いわゆる中国東北部。中国最後の王朝・清王朝の故郷。奉天省(遼寧省)・吉林省・黒竜江省の3つの省で構成されることから「東三省」(とうさんしょう)と呼ばれることもある。中国本土、ロシア(ソ連)、日本(朝鮮含む)3勢力が交錯する地域であり、日本は他の2勢力への対抗上、日露戦争以来この地域の確保を切望していた。
北伐 (ほくばつ)
中国国民党(蒋介石)による、中国の軍事行動。大正・昭和初期の中国(中華民国)は、北京の中央政府が有名無実化し、各地に軍閥と呼ばれる軍事勢力があって衝突を繰り広げていた。国民党軍は中国最南端の広州から発して各地の軍閥を倒し、日本の支援を受ける北京の張作霖の軍閥を討伐しようとしていた。
居留民 (きょりゅうみん)
弱体化した清王朝が諸外国と不平等な条約を結ばされた結果、中国各地には、ほとんど外国の植民地であるかのような外国人居住地が発生し、多くの外国人が住んでいた。また1900年の「義和団事件」(中国民衆による排外動乱。清国政府も加担した)以後、日本をはじめとする各国は、自国民保護のため多くの軍隊を駐屯させていた。
支那 (しな)
戦前日本における、中国に対する呼称。現在は使わないように、とされているが、歴史用語・学術用語としてはこの限りでないとも。支那事変→日中戦争はともかく、れっきとした固有名詞である「支那派遣軍」「参謀本部支那課」などを、わざわざ「中国派遣軍」「中国課」と言い換えるのは、かえって不当な改変であるという見方もある。
人物評伝(キャスティングされていなくて文中登場回数の多い人物につき)
馬賊(盗賊あるいは民警団)から身を起こし、奉天軍閥を率いて満洲の実効支配者にまで伸し上がった人物。関内(山海関=万里の長城の内側。すなわち中国本土)の軍閥抗争にたびたび介入し、第2次奉直戦争の勝利で(形式上の首都)北京政府の実権を握り、大元帥を名乗った。ソ連の影響力が強かった南方革命勢力に対して、張作霖は欧米の支持を受け、特に日本は満洲を中国本土から切り離すべく、大きな支援を行っていた。しかし関内の政局に積極的に介入しようとする張との思惑の違いが次第に大きくなり、関東軍による張排除・満洲独立の陰謀を招くことになる。
薩摩出身。維新の元勲・大久保利通の二男。伊藤博文・西園寺公望の知遇を得、外務官僚から宮中に入り、大正10年(1921年)宮内大臣に就任。大正14年(1925年)内大臣へ転じ、英米協調派の中軸として西園寺とともに、政治家や軍部の強硬外交・軍事主導論との激しい抗争を繰り広げる。昭和天皇の信頼は絶大で、昭和10年(1935年)に内大臣を退任する際、天皇は涙を流して慰留したという。一方で上記のように反軍思想の持ち主であったため、軍部や過激派からは常に生命を狙われていた。娘の雪子は吉田茂の正妻であり、吉田もまた義父・牧野のもとで、親英米派官僚として協調外交・日米戦争回避のために尽力する。
大正・昭和期の海軍軍人。最終階級は大将。日米戦争を勝ち抜くために「対米7割の軍備」を主張する海軍強硬派(艦隊派)の領袖として、2度の海軍軍縮条約(1922・ワシントン、1930・ロンドン)で激しく抵抗。日露戦争の英雄・東郷平八郎を師と仰ぎ、皇族の伏見宮をも担いで、軍縮容認派(条約派)と争った。ただ加藤本人は単なる熱血漢で、その言動は側近の末次信正に影響されたものとも言われる。
明治以来の政治家。伊藤博文の側近中の側近として、大日本帝国憲法の起草作業に参画。伊藤の内閣でも、大臣や書記官長の要職を歴任する。東京日日新聞(現・毎日新聞)の社長時代には、日清・日露戦争で政府擁護の方針を取った。明治32年(1899年)より枢密顧問官として枢密院で隠然たる勢力を持ち、積極強硬外交を主張して政府の欧米協調外交と対立した。
関連動画
第一部の参考資料
・井上寿一「昭和史の逆説」(新潮新書)
・岡崎久彦「幣原喜重郎とその時代」(PHP文庫)
・勝田龍夫「重臣たちの昭和史(上)」(文芸春秋)
・河原敏明「昭和天皇とその時代」(文春文庫)
・重光葵「昭和の動乱(上)」(中公文庫)
・ジョン・ダワー「吉田茂とその時代(上)」(中公文庫)
・城山三郎「落日燃ゆ」(新潮文庫)
・杉森久英「夕日将軍 小説・石原莞爾」(河出文庫)
・鈴木一編「鈴木貫太郎自伝」(時事通信社)
・戸川猪佐武「昭和の宰相第1巻 犬養毅と青年将校」(講談社)
・豊田穣「松岡洋右(上)」(新潮文庫)
・半藤一利「昭和史」(平凡社)
・半藤一利「戦う石橋湛山」(東洋経済)
・福田和也「昭和天皇 第三部 金融恐慌と血盟団事件」(文芸春秋)
・福田和也「日本の近代(下)」(新潮新書)
・福田和也「地ひらく 石原莞爾と昭和の夢」(文芸春秋)
・松本健一「評伝 北一輝 Ⅳ」(岩波書店)
・松本健一「大川周明」(岩波現代文庫)
・松本清張「昭和史発掘 5」(文春文庫)
関連コミュニティ
関連項目
- 2
- 0pt